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日記
diary


8月20日金曜
20th of August,Friday



今の職場は外国人が何人かいる。
インド辺りの男性1人。白人男性2人。
ぼくの席の向かいには(多分)韓国人男性。
フロア全体の人数は15人ぐらい。

みんな日本語が流暢だ。
ぼくも英語をいくらか喋れるけれど、英語になるとぼくの口調は少し変ってしまうので
あまり会社の人にはまだ見せたくはないな。
ほかに日本人社員が英語を喋ってくれれば、英語で話し掛けやすいものだが。

結局こういうことはボス次第な感がなくもない。
部下が英語をしゃべれて、上司が喋れない場合。
はたして平静でいられる人間がどのくらいいるのだろう。
万一盛り上がりでもしようものなら、面子がない。どこの国でも一緒っぽい。
おおらかな人がいっぱいいることは知っているけれど、
ぼくの働いている会社がどういうところなのかまだ知らない。

こういうことは日本だけのことかなぁと漠然と思っていたけれど、
イスラエルでもドイツでも一緒だった。
現地の人たちと卓を囲むと、必然的にその国の言葉になってしまう。
その場をしきる人が「今日は英語でいく」
という姿勢を積極的にみせてくれるときは楽だ。
それだって、もしも英語がわからない人がグループにいたり、
新しく入ってくれば、すぐに現地語モードへ戻っていく。

だから、イスラエルではウェールズ人のPhilip(奥さんがイスラエル人)や
イギリス留学経験のあるAttiやアルゼンチン出身で英語、スペイン語、
フランス語ができるDeboraなどと話しをしているときが一番くつろげた。
あと、カナダから移住してきたJoeや
イギリスから両親が移住してきたRavivなど。

ドイツでは、牧場を経営している家族のもとに滞在していたのだけど、
一家の大黒柱であるご主人が英語を理解されない、、、、という最悪の席回り。
弟夫婦と奥さんは英語分かるんだけどねぇ。申し訳ないが。
だから、まぁ、こういう場合はにこにこして黙ってるか、
ドイツ語のことでも訊いて道化になるしかない。
でもそうすると、子供達が見くびるんだよなぁ、俺のこと。
まぁ、最終的にはうまく寄りきったんだけど。良い子達だったけどね。
ドイツの田舎だからかなぁ。スイスとミュンヘンの間くらいのところ。
カトリックの多い保守的な地域。

キブツにあるとき、メキシコ人の女の子がヴォランティアにきて、
ポルトガル語も話せるDeboraと仲が良かった。
お昼を食べているときなどは、ヘブライ語、英語、スペイン語などが
おなじテーブルで飛び交うのだ。
話しにくいけれどちゃんと会話できる。ふしぎなものだね。
でも、あの時なにしゃべったっけ?って訊かれたら
みんな違うことを言うだろう。

言語の違う人はほとんどそこにいないも同然なのだ。

まとめよう。
言語によって社会的距離が規定される。
とくに、パブリックな場で公用語を理解しないことは悲劇だ。

この不平等を是正することは、個人の努力では不可能なのだ。
組織的解決しかありえない。
だから、本当の意味での多国籍組織ではマルチリンガルが必要とされる。
ボスが日本語だけしかわからないのではだめなのだ。
外国人がお飾りなら別だが。
常に英語を使う必要はないが、日本語よりも
英語が得意な話し手が忌憚なく英語で話のできる環境が理想だ。
言語格差を固定化しないようにしなければならない。

EUの委員会議長の必須条件がバイリンガルだった。
トリリンガル(3ヶ国語ができるひと)ならより望ましいと。
そうすると必然的にベネルクス3国(オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ)の
委員からの選出が頻発した。
そうするとこれもまた問題視されるようになる。
なんであんなに人口の少ない国ばかり発言権が強いのかと。
(スイスが加わっていれば恐らく、彼らも良いポジションを得られただろう)
今回は結局ポルトガル出身の委員にどういう経緯だが知らないが決まった。
まぁ3大国とベネルクス3国以外、という感じではある。

オランダのレイヴではDJを国別に選ぶことも多い。
メインフロアのDJが4人いるとしたら、一人イギリス、一人フランス、
一人ドイツ、一人イタリア、というような。
Marco BaileyというDJはたしかイギリス育ちだが
ベルギー人とイタリア人が両親だったはず。
こういう人は得だ。国別の枠がなくても特別枠を利用できる。
音楽もかっこいいけど。

自分の持っている資源を発揮できるところを
探さなければいけない、ということかもしれない。今や僕らはどこにでもいける。
今ここの条件が悪かったら、場所を変えてみるのもひとつだ。
その努力をしないでグローバリズムを非難するのは少し怠惰だ。
それから、中途半端な外国人採用でインターナショナルになった、
と思っている企業もすこし見苦しい。

インターナショナリズムのカギは英語が握っている。
日本やドイツにとって、それは敵国語だったし、いまも国際競争のライヴァル国だ。
そのジレンマを英語をより一般化させることによって土俵をしきりなおすか、
英語を放棄し日本語を諸外国にひろめることで競争力を確保するか。
両方をうまく使い分けることが妥当だろう。

サッチャーが断行したことだが、英語の普遍化によってイギリスのコミュニティは崩壊した。
日本は英語と日本語の併用によって、乱暴な市場中心主義やなんやらを緩衝できる。
けれど、大多数の日本人がまもりたいコミュニティの価値ってなんだ?
けっきょくそれが今の日本の会社だったり社会だったりするのでは、すこし退屈だ。

アメリカやカナダ、イギリス、オランダなどにいって働きたいものだが、まだそんな余裕はないし。
日本人という属性はこの場合有利に働かない。ちょうど対角線なのだ。
政治においても言語においても経済においても。

ただ、これからより外国人労働者が増えて、日本語と日本文化の多様化が進むかもしれない。
それに期待するというのも一つの手だがねぇ。
そして日本の国際化とともに諸外国の日本へのイメージも
もっとキメ細かくなってくるかもしれない。
そうなると外国でも働きやすくはなる。
むずかしいな。このへんは。

でもっていうか、何すんの?仕事?おれ。どうしよっかなぁー!




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