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日記
diary
9月1日水曜
first of September,Wednesday
笑いについて
今日も熱かったねぇ。海でも行きたいもんだね。
この間、バイト先の人とお酒をのんだ。
そのときに、ぼくともう一人のアルバイト君、
2人揃うとお笑いのおぎやはぎに似ているね、と言われた。
おぎやはぎも名前だけで顔知らないから
どうでもよかったんだが。
ぼくはお笑いのTVがわりと好きだ。
テレビをつけて見る番組は、
1番ニュース、2番教育(子供向け)番組、3番お笑い、の順だろうか。
ぼくは笑いについて考えるのも好きだ。
というより、それがお笑い番組をみる理由だったりする。
ぼくにとって楽しめないものは
世間の常識をそのままなぞったような部類のもの。
たとえば山田花子。彼女はとりあえずブスだ。
そして回りの芸人もお客さんもそういうものとして
彼女を扱う。オチもいつもほとんど一緒。
彼女を起用すれば脚本はいらない。
「みんなが笑っていて私も笑ってみたけれど、
何が面白いのかほんとうはわからない」
若いお笑いのひとがネタで
こういうこと言っていたけれど。
起承転結、オチが分かりやすいのはみていて安心なのだろう。
みんなが同じ所で笑う。泣く。まぁカタルシスがあるよね。
ブスという社会的弱者をだしに集団の一体感を演出する。
お笑いを通してその集団の価値観や意識が再演される。
対照的なのが風刺だ。
政治家などの社会的強者をコケにすることで笑いを取る。
みんなの不満も表現する。
どちらかといえばこっちのほうが好みだが、
それだってほとんどの作品はステレオタイプを免れていない。
虐げられる庶民の表現!という肩書きで、
結局、特定集団の一体感を保つプロパガンダになっている。
オウム真理教のパンフレットを昔見せてもらったことがあるが、
かれら独特の風刺マンガが必ず載っていた。
部外者にははっきり言っておかしくも何ともないのだが、
新聞などに載る風刺も部外者(外国人など)には面白くないだろう。
笑う対象を何にするか、は結構重大な問題だ。
コメディアンは彼らだけの別世界をステージ上に
作り出すことで、ぼくらが安心して笑える瞬間を
提供してくれるのだが。
ときにそれは世間の常識を反復して埋めこむだけの
退屈で抑圧的な笑いになるときもある。
たぶん、肯定的な笑いと否定的な笑いを
区別するポイントは、シンパシー(共感)だ。
恥ずかしいけどはっきり言いなおすと、「愛」だ。クラブ「愛」。
「ペーソスを感じさせる笑い」。
「嘲笑」。
一方は対象への共感を抱きつつ距離をおいた笑いで、
一方は対象への拒否に支えられた笑い。
ぼくが思うに、もしも君があらゆるものに共感をもてるなら、
何を笑っても後ろめたくないだろう。
愛の深い人は深くよい笑いをするもの、かもしれない。
もしも君がなにも共感できないなら、何を笑ってもそれは
薄っぺらで耳障りな笑いにしかならないだろう。多分ね。
ぼくが安心して笑えるコメディアンは
ダウンタウンや海砂利水魚かなぁ。あまり詳しくない。。。
理屈っぽいのが好きなのはまぁ性格かな…
マンガでいうと谷岡ヤスジ。天才だなぁ。
ジョージオーウェルの「動物農場」を超えてる。。。
コントやマンガというアートフォームを最大限利用することで
作り出される現実に即した新しいタイプの笑い。
社会的弱者をスケープゴートにするようなものでもなく、
自分となにかの集団をアイデンティファイ
させるようなものでもなく。
自分が自分であり他人が他人であることを認めた上で
成り立たせる笑い、それが文化の粋としての笑いだろう。
そしてそれはあらゆる表現に求められることだろう。
つまり愛なんだけどね。
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